「いちごって、最初に食べる? それとも最後?」
先日、職場の誕生日会でいちごのショートケーキを食べていたとき、そんな何気ない話題で盛り上がりました。
私は昔から、美味しいものは「一番最後」に残しておくタイプです。 美味しい余韻に浸りながら終わりたいし、楽しみは後に取っておきたい。
でも、隣の同僚は「一番お腹が空いていて、美味しく感じられる最初に食べる!」と即答していました。
「最後に満腹の状態で食べても勿体ないじゃない」と言われてハッとしました。どちらも納得の理由ですが、「好き」に対するアプローチが真逆で、なんだかすごく面白かったのです。
無意識の中に潜む「自分ルール」
このケーキの話をきっかけに、自分の日常を振り返ってみると、驚くほど「無意識のパターン」で満ちていることに気づきました。
たとえば、お風呂で体を洗うとき。 首から洗うのか、腕から洗うのか、足から洗うのか。 意識したこともありませんでしたが、思い返せば毎日同じ部位から無意識に洗っています。
- 朝起きてからのルーティン
- 通勤で歩くルート
- コンビニでつい買ってしまう飲み物
私たちは普段、「自分で考えて行動している」と思いがちです。 けれど実際は、自分でも気づかないうちに出来上がった「習慣」や「固定概念」のレールの上を、心地よく走り続けているのかもしれません。
「考えが固まる」のは、自分らしさが育った証拠
「いつも同じ順番で行動しているなんて、自分の考えが固まっちゃってるのかな……」と、少し不安に思う瞬間もあります。
でも、無意識の習慣やこだわりは、決して「頑固」なわけではありません。 これまでの人生で「自分にとって一番心地よい選択」を積み重ねてきた結果、自然と出来上がった「自分という人間の形」なのだと思います。
いちごを最後に食べるのも、体を左腕から洗うのも、全部自分が自分らしくいるための小さな「安心の型」なのです。
ほかの人の「当たり前」を覗き見る面白さ
自分にとっての当たり前が、誰かにとっては「へえ、そうなの!」という発見になる。 逆に、誰かの当たり前を知ることで、「そんな楽しみ方があったんだ」と自分の世界がちょっとだけ広がる。
たまには自分の「無意識のルール」を少しだけ疑ってみたり、職場や家族に「これってどうしてる?」とくだらない質問を投げてみたりするのも面白いものです。
「ケーキのいちご、今日は最初に食べてみようかな」
そんな小さな脱線(道草)を楽しめる心の余白を持ちながら、自分らしい頑固さを愛おしく思える日々を送りたいですね。
みなさんは、いちごのショートケーキ、いつ食べますか?


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