こんにちは、キョーちゃんです。
我が家のお子さまは筋金入りの「ママっこ」です。
少しでも自分の方に気を引きたくて、ポイント稼ぎのために休日になるとよく一緒に買い物へ出かけます。
……はい、正直に告白しますと、お菓子や小さなおもちゃなど「好きなものを買ってあげる」という禁断の「もの釣り作戦」を使ってしまっています(笑)。
「買い与えすぎるのは良くないな」「お父さんとの時間そのものを楽しんでほしいな」と反省しつつ、ママにベッタリな姿を見るとつい甘やかしてしまう日々です。育児のポジショニング探し、なかなか難しいですね。
「青になったら進め」と教えながら思うこと
そんな子どもとの買い物途中で、いつも密かに「モヤッ」とすることがあります。
横断歩道を渡る時、子どもに「青になったら行くよ〜、赤は止まれね」と教えているのですが……
心の中の私が、毎回こう叫んでいるのです。
(いや、どう見ても『緑』だよね……??)
昔からずっと思っていました。「信号の青」って、誰がどう見ても緑色ですよね(笑)。
非常口のマークも緑だし、山や木のことも「青々とした緑」なんて言ったりします。日本語の文化として緑を「青」と呼ぶ歴史があるのは知っていますし、大人になるにつれて「そういうものか」と順応して生きてきました。
でも、まだ何も知らない真っ白な子どもに「あれが青だよ」と教える時、なんだか小さな嘘をついているような、不思議な違和感を覚えるのです。
「違和感」をスルーするのが、大人になるということ?
世の中には、こういう「言われてみれば確かにおかしいよね」という言葉やルールがたくさんあります。
- 冷たい水を温めるのに「お風呂を沸かす」と言う
- 信号の「緑」を「青」と教える
- 鼻から出すのに「目薬」と同じトーンで「鼻薬(はなぐすり)」とは言わない(笑)
子どもの頃は「なんで?」「おかしいよ!」と素直に疑問を持っていたのに、私たちは年齢を重ねるにつれて、いつの間にか違和感をスルーして「世の中の当たり前」に順応していきます。
社会で生きていくためには、この「順応すること(波風を立てないこと)」も大切なスキルです。いちいち「これは緑です!」と警察にクレームをつけていたら生活できませんからね(笑)。
でも、ふと立ち止まった時に「これって本当はどうなんだろう?」と感じる素直な感覚(違和感)まで捨て去ってしまうのは、少しもったいない気もするのです。
子どもの「なんで?」の視点を大切にしたい
我が子に「信号が青になったよ」と教えながら、ふと思いました。
親として社会のルール(青=進め)を教えることは大切です。でもそれと同時に、「本当は緑色に見えるよね」「なんで青って言うんだろうね?」と、子どもが感じる素直な疑問や違和感にも寄り添える親でありたいな、と。
「当たり前」をただ押し付けるのではなく、「なんでだろうね?」と一緒に面白がれる余白を持っていたいものです。
……と、それっぽい良い話風にまとめてみましたが、今日もお菓子で釣って一緒に買い物に行ってきます(笑)。
みなさんは日常の中で、「当たり前になっているけど、実は違和感があること」って何かありますか?


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