カタコトと揺れる電車の中でのことです。
向かいの席で、若い女の子がスマホを掲げて自撮りをしていました。 画面をのぞき込み、顔の角度をミリ単位で変えながら、何度も何度も撮り直しています。
「そんなに角度変えても変わらんやろ……」
内心そう思いながら、周囲の迷惑も少し気になり、私はつい冷ややかな視線を送ってしまっていました。自分の世界に入り込んでいて、周りが見えていない典型的なマナー違反に見えたからです。
しかし、その子のすぐ隣に座っていたおばあちゃんの反応は、私とは全く違っていました。
嫌味のない「楽しそうね」が起こした奇跡
おばあちゃんは、どこか微笑ましそうな、羨ましそうな表情でその子を見つめていたのです。 そして、柔らかいトーンでポツリと一言、声をかけました。
「楽しそうねぇ」
それは「静かにしなさい」という注意でも、棘のある嫌味でもなく、心からの本音のように聴こえました。
もしここで、私が感じていたような冷ややかなトーンで「車内で自撮りはやめなさい」と注意していたらどうでしょう。きっとその子は身構え、反発して気まずい空気が流れていたかもしれません。
でも、おばあちゃんの温かい一言に、その子はハッとした表情を見せました。 「あ、すみません……」と少し恐縮しながらも、嫌な顔ひとつせずスマホを下げ、そこから二人の間で穏やかな会話が始まったのです。
悪気があったわけではなく、ただ夢中になりすぎていただけ。 おばあちゃんの一言は、相手を責めることなく、自然と「ハッと気づかせる」最高の魔法でした。
ひとつの出来事、三つの視点
この出来事を振り返ったとき、同じ車内にいたのに「見えている世界」がみんな違っていたことに気づかされます。
- 若い子: 自分の世界に集中していて、周りが見えていなかった
- 私: 「マナー違反だ」「そんなに変わらないのに」と冷ややかに正義感をかざしていた
- おばあちゃん: 若さや夢中になれる姿を、素直に愛おしく受け止めていた
私たちは日常の中で、つい自分の物差しだけで「あの人は間違っている」「なんであんなことをするんだ」と決めつけてしまいがちです。
でも、立場や視点を変えて相手側から見てみると、そこには「悪気はないのかもしれない」「ただ夢中なだけかもしれない」という別の理由が見えてきます。
対立を解くのは「正論」ではなく「相手を包む言葉」
正論で相手を論破したり、冷たい視線で排除しようとすると、そこには「対立」しか生まれません。
一言の掛け方、声のトーンひとつで、相手に伝わる印象はガラリと変わります。 相手を正そうとするのではなく、まずは相手の状況や感情をまるごと一度受け止めてみる。おばあちゃんの「楽しそうね」には、そんな深い包容力と対人関係のヒントが詰まっていました。
白か黒かで裁くのではなく、「相手の側から世界を見る力」を少しだけ持ってみる。
そんな柔らかい視点をポケットに忍ばせておくだけで、ギスギスしがちな毎日の風景が、少しだけ温かいものに変わっていくのかもしれません。


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